12 Z世代と生きる僕 |
時代に乗り遅れまいと努力はしている。でも時代に乗り遅れないための”時代”ってなんだろうと思う。みんな価値観が違うように、みんなの頭(意識)の中の時代(感覚や意識のようなもの)もそれぞれだと思うし、それぞれの中身が一致しているかどうかなんて確かめようもない。大体僕が”あれは赤色だ”といって、”そうだね”と返してもらっても、その人の頭の中にある”赤色”の認識と同じかなんて確かめようがない。ひょっとしたらその人の赤色が僕でいうところの青色かもしれないからだ。同じものを見ていてもそれぞれのあたまにひろがる感覚と風景が違っていて驚いたことはいくらでもある。よく冷えた秋の早朝のこと。恩師を乗せて大学に向かう途中、横から前に1台の車が入ってきた。白い煙(水蒸気)をたくさん出しながら前を走っていたそのときだった。僕が、”急いで出てきたんですね。エンジンがまだ暖まっていない。”といったら、いつもはもの静かな恩師が”おおっ! きみはやはりエンジニアだね”とひときとぽつりと言われた。はじめ何の意味だかわからなかったのだが、すぐその意味がわかった。恩師は凜とした厳しさの中に四季の移り変わりの摂理の美を発見していたのだ(と瞬時に僕はそばで感じた)。先生は文学専攻の教授だったのだ。そして、人はこんなにも感じているものや見ている風景が異なるものかと。(ここで解説すると、気温がマイナス状態でのでエンジンの排気ガスは暖まっていないと水蒸気が白いガスのようにみえるのだ。そして、暖気運転が終わるあたりで排気ガスは透明な状態で出てくる。なお、いまの車はノズル方式でなく、コンピュータ制御の燃料の補域なので、マイナス15度でも問題なく始動する。マニュアルには暖気運転不要、ただちに使えますと書いてある。)その後、北国の四季の移り変わりの凜とした美しさに気づかない自分に恥じて、本格的に文学にのめりこむこととになった。人は寄り添ってみないとその心持ちと感受性の深さはわからないものだ。
それから50年近く年月がながれた。Z世代のスピードについていくのはやはりつらい。残されてもいい。老いを認め、受け入れ、日々をたのしくいきていくことが一番いい。そして時代の変化を敏感に感じ取り、自らの力で解決していこうとする新しい世代、Z世代に生きる若者の価値観を支持し、応援していきたい。僕らもかつてはZ世代だったのだ。これがさまざまやってみた僕の結論だ。
僕なりの結論が出たところで、このシリーズをひとまず終了としたい。
჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻ Ꙭ
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