3 ひとりひとりはとてもいい人なのに社会では評価が低い/活躍できない若者たち |
--ダンボールをそのまま積み上げた若者 |
(up 2024.3.20)
知人から聞いた話だが、驚きもしたが、そういう時代か・・・と感じた瞬間だった。
・・
新しくきた大卒の社員に、”納入済みの廃棄のダンボール箱を出口に積んでおいて”と指示したら、大きさに関係なくそのまま積み上げたという話だ。確かに指示通りだが、大小が逆転していたり、廃棄しやすいようにつぶしたりせずにだ。
どこに問題があるのだろう。時代に合わないのか、時代が合わないのか、見方は様々だ。
その前にも別の出来事があった。
・・
後始末をして帰ってくださ~い
は~い
・・
机のうえや使った機器を元の位置にもどさないままでだ。
・・
え? 机の上は?
きれいにしましたけど・・・。
だって、パソコンは口(くち)開けっ放しだし、書類やえんぴつ、消しゴムなども机の上に・・・
え? どうすればいいんですか? 学校で習ってこなかったんですけど・・・
・・
とまあこんな具合だそうだ。
あちゃ!?
というところで、緊張感が抜け落ちてしまう瞬間だ。
どうしてこんなことが起きるのだろうか。
時代の変化ということだろか。とすると時代の変化とはいったい何なんだろか。
・・
え~!? うそ~!
・・
はじめは笑いながら聞いていたが、退職して10年以上も過ぎた僕にとって、信じがたいことだ。
ひとりひとりはとてもいい人なのに社会では評価が低く、また活躍できない若者たちを書く動機となった。
新入社員を育てなくなってから久しい。即戦力を求める時代だ。結果第一主義が蔓延してしまった現代は、結果を出せない(契約した仕事ができない)者は容赦なく解雇していくサバイバル社会だ。社会経験が薄い若者をそのように扱う社会文化とはどのようなもので、その結果として何をもたらすのだろうか。
Z世代の若者は自ら選んでそのようになったのではなく、社会文化・価値観がそのような若者文化をうみだしたのだと僕は考えている。この考えは、5の”生きる価値と生きていく価値”、7以降の”選ぶ人生から決めていく人生へ”でさらに展開する予定だ。
そうはいっても、いまの急激な社会文化(と僕は呼んでいる)は一人の人間がどうあがいても受け入れざるを得ないのだ。全面的に受け入れアイデンティティを偽り生きていくか、一部妥協してもんもんとして生きていくか、それとも、我が道を行くかの自己決定が必要だが、いまはどれでもない態度保留の若者が多いように、あるいは考えることを停止しているようにも見える。
そんな中、子から生きることへの突然の問いかけが来ることがある。これは僕自身に対する問いかけでもあり、子から気づかされる瞬間でもある。また子の成長を実感させられる瞬間でもあり、とてもしあわせな時間でもある。
話をもどして、このいびつな社会文化(これも僕の独断と偏見だが)は、これから参加する若者が作ったものではなく、私たち大人社会の価値観・生きざまが形作ったのだ。責任は若者になく、大人、つまり先に生まれたものの責任だ。それを”若者の自己責任”と表現した政治家がまだいるが、僕はお門違いもいいとこだと思っている。
では、大人たちはどう振る舞えばいいのだろうか。どこで教育の道筋がずれてしまったのだろうか、何を教え諭し、どんな価値観を持たせてあげればよかったのかと、思考は瞑想から発散へと拡大してしまう。
ひと昔前、経団連が”リテラシー、コンピテンシ・・・”を提案し、それに乗った生き方、キャリア教育が進められた時期があったが(僕の大学講義ノート)、その根底にある”生きる力”に代表されるプラグマチックな価値観が西側世界を覆っていく時代の流れでもあった。僕はこれには違和感があって、その教育は社会人としての形は整うがその形を制御する実態(自己という実存)がなければゾンビとおなじで、パスカルのいう人間ではなくなると考えている。
生きる力が文部省で使われ始めた約30年前は僕が海外技術教育援助を担当していた時期で、相手国に教育政策の根幹となる”生きる力”の英語訳をどのようにして説明すれば良いか、困っていた時期だった。想定されていた概念に対して、それは”zest for living”かなあと文部省内のネイティブから聞いたことがあるが、zestの深い意味がわからなかった。今回この単語を調べてみた。
https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/zest(2024.3.10 13:45閲覧)
では
zest noun
1 [singular, uncountable] zest (for something) pleasure and enthusiasm synonym appetite
①He had a great zest for life.
②She danced with the zest of a twenty-year-old
2[uncountable, singular] the quality of being exciting, interesting and fun
①The slight risk added zest to the experience.
②The love affair added a little zest to her life.
3[uncountable] the outer skin of an orange, a lemon, etc., when it is used in cooking
①Add the zest of half a lemon.
と解説されていた。
https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/american_english/zest(2024.3.10 14:00閲覧)
でも同じ用例だった。
ちなみに語源は
Word Origin→late 15th cent.: from French zeste ‘orange or lemon peel’, of unknown origin.
う~ん zest for living がない。
ではいつもスマホで使っているアルクのPdicでは
https://eow.alc.co.jp/search?q=zest&ref=awlj(2024.3.10 14:35閲覧)
生きる力
1physical and intellectual ability
2zest for living
zest 名
1〔風味を添えるために用いる〕かんきつ類の皮◆オレンジ、レモン、ゆずなどの皮
2風味、趣
3熱意、強い興味、活力
とあり、かんきつ類の皮を第一に上げ、そしてその皮は〔風味を添えるために用いる〕皮という感覚が込められていたのだ。
さらに
zest for life→生[人生・生きること]への[に対する]熱意
zest for living→生きる力
zest of lemon→レモンの皮
まで例示があった。
zest for life では意味が通じず、zest for ivingが現在使っている”生きる力”に近いと思う。
長くなったが、現在小中高校で進めている生きる力(zest for life,lifeのためのzest)育成プログラムは、30年前に実現しようとした生きる力(zest for living、livingのためのzest)像とずれてきているのかもしれない。人間を”レモン”に例えると、”人生に赴きを添える身だしなみ”教育となり、これを生きる力の教育の本質とみなした当時の英国人のユーモアあふれる感覚にいまさらながら脱帽だ。生きる力をlifeに特化するのであれば、人間性そのものへの育成プログラムがもっと強調されてよいと思う。Z世代の若者に不足していると思えるのはこの人間性育成とそれによる人間性への気づきや目覚め(実存的存在感覚)なのではないだろうか。”形は心を求め、心は形を進める”は仏法の世界の話だが、優れた日本刀には心が宿っているような錯覚(刀剣の実存?)に陥ることがあって、この説話はこの心境なのだろう。若者の例に例えては失礼だが、形(容姿・言動)が整えば、次は心(生き方)かと思ってしまう。でも、ひとりひとりはとてもいい人(形)なのに社会では評価が低い/活躍できない若者たち(心の在りよう)の存在は”時代の流れ”、”自己責任”と整理されがちだが、僕は時代変化に対応でき、あらたに自分たちの時代を切り開いていくことができる力の育成が、現代の”生きる力”育成教育の”肝”なのではないだろうかと考えている。生きる力と若者の実存感覚については、後半でさらに検討したい。
჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻჻ Ꙭ
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